点取り虫君の話


点取り虫君の話




今回、この話をするにあたり、私の幼少期から中学生までのお話を前もってさせていただきたい。小学生の頃は私はファミコンに夢中で学校から帰ってくるとすぐに兄と一緒にファミコンでゲームをするという生活だった。両親は親族経営の工場の工員で、母親は病院勤務、バブル絶頂期の1980年代には珍しく両親共働きという家庭だった。平日は家に親がいないため、私の自宅は同級生の溜まり場と化し、何かしら友達から、「あのファミコンのカセット貸してよ」「あのゲームやらせてよ」「今週のジャンプ読ませてよ」という会話があった。。


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今となっては両親共働きは普通のことかもしれないが、あの頃は珍しいほうだった。下校しても家には母親がいないため、母親は私の勉強の管理とか生活管理などはされなかったように思う。小学校4年生くらいになると、同級生らは中学受験用の進学塾に通い始めるが、私は家でゲームに夢中。中学受験を両親から勧められた記憶はなく、(そもそも中学から私立に行くということが社会のレールとしてあったことも知らず)私の学力は低下する一方であった。

 

小学校の5年生~6年生の時の担任はT先生という女性で、(この方も非常に問題のある教師だったが)モンスターティーチャーの典型例のような方だった。いつもヒステリーで、私のテストの点数が悪いと、教室中で【そんなんだから30点しか取れないのよ!】【太っている人は自分の生活管理が出来てない人なの!】など、今それをやると大問題に発展するタイプの教員だった。自分はテストでいい点数が取れない。ダメな人間なんだ、というレッテルを貼られ、自己評価の低い子供になっていた。

 

私が中学生になり、そろそろこういう学力低下状況も改善しなくてはならない、と思った。自分は勉強が出来ないなりにそれなりに頑張ろうと努力をした。中学生1年の冬あたりからは学年上位の成績となり、その後は安定した成績を修めることができた。【だから30点しか取れないんだ!】などと罵られた私も次第に自信を取り戻しつつあった。しかし、今でも忘れられない言葉を浴びせかけられることになる。中学校3年生の担任の先生、Y先生についてである。



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 今回のお話ししたいことはこの教師についてである。もともと英語は小学校4年の時から個人の塾に通っていたため、それなりに書けて話せて学校の点数も良かったのではあった。一学期の5月くらいの土曜日、職員室でこの担任と私との会話の中で、「あんたは点を取ることしか考えていないんじゃないのか?」という、私が理解することができない発言がYからあったのである。言っている意味がよく分からなかった。しばらくの沈黙のあと私は「やってねーよ」としか言うことしかできなかった。あの時に相手を論破することのできる表現力と知識が私にあればよかった。あの時に一発、殴っておけば良かったと今でも思うのである。そしてその後、ことあるたびに私に対して「点取り虫」という発言があり、私は困惑したのである。

 

数回、このことに関して母親に相談したことがある。でもやはり母親は学校側に問い合わせやクレームなどをすることがなかった。「それはどういう意味か分からないし。」ということであったが、ようするに学校などに問い合わせるのが面倒で、仮に何かしらの問題があったとしても学校に通わせておけばいい、という方針なのだろう。それを「ほったらかし」というのである。そういえば私が良い成績を取ったとしても褒められることは一切、なかった。

 

当時の社会認識としては、学校は聖域であり教師は聖職であり、教師が言うことは何でも正しい、という、いわば公的機関信奉というのが日本人のバックグラウンドにあったような気がする。しかし、現代はインターネットが発達し、教員の不祥事、事件、わいせつ案件が即座に報道される時代である。

 

Yは、生徒の間でも相当に評判が悪く、英語の授業が授業として成立していない。文法用語の説明がない、関係代名詞という言葉をYから伺ったことがない。何というか、ダメ教員の典型パターンであった。クラス内の指導力も無かった。

 

公立中学校の場合はこういうことが起きてしまう。私立の場合は生徒側がお金を払っている以上、学校に問題があれば学校側に文句を言える。しかし、公立の場合は、みんなの税金と区民税等でまかなっているため、(少なくともその区域の方々が支払っているお金とはいえ)生徒側と教師側の関係性が曖昧なのである。

 

私が受験に高校受験に失敗し、担任であるYに最後の報告をしたときに、Yはなぜか私の目の前で号泣。今まで散々と私を罵っていたいたはずの人間が、なぜこの時だけ私の前で泣くのか、その答えは未だに見つけ出せてはいない。ようするにYは私のことが嫌いなんでしょう。Yの授業をろくに聞かないで、テストではいい点数を取る私が邪魔なんでしょう。

 

人生は出会いの連続であるが、このYに会ったことで下記のことを学ぶことができた。



学校の教員がいい教育者とは限らない


英語の教師が英語が得意とは限らない


公的機関を疑う勇気を持て


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