地震計の振り子
自分はかねてから常識を疑う人間と思っている。私の仕事の一つであるコンピュータープログラミングに関してもとにかく疑うことが先決。このプログラムは一見、キチンと動作しているように見えるけれど、この場合にはとんでもないバグが出る可能性がある、この場合はどうか、などのように、私は常に疑うことを意識している。
ところで、例えば学校のテストで先生の解答が実は正解でない場合ということを考えたことがあるだろうか?私が中学校3年生の時に実際に経験したことである。理科のテストの問題文には、下記のことが書かれてあった。
【地震計の振り子はどのような性質を利用しているか?】
T先生の正解は、【不動点】であった。しかし、当時15歳であった私は【慣性】と記載した。×を食らった。しかし、私は不正解にされたことに納得がいかず、まず、T先生にこの答えは【慣性】だ、と主張した。それでもT先生は頑なに認めようとはしない。次に私は行った行動は下記のとおりである。
◆全く同じ中学校の別の理科の先生に正解を聞いてみる。→その先生は【慣性】と答えた。
◆自分の兄(最終的には理系に進む)に答えを聞いてみる。→兄も【慣性】と答えた。
◆兄の学校の先生に兄を通じて聞いてみる→その方も【慣性】と答えた。
やはり、答えは【慣性】なのである。あの時代にはchatGPTみたいなものはなかったから、私がT先生の間違いを指摘したところでT先生が自分の間違いを認めようとしなければもう終わりとなってしまう。T先生は私のことを常に「お前は頭が固い」、と言っていたが、私の頭が固かろうが柔らかだろうが答えは【慣性】なのである。
人生は何事も経験であり、この件で一つ私は学ぶことが出来たことがある。
「学校の先生が常に正しいことを言っているとは限らない」