なぜモンスターペアレントは増えたのか
2025年4月に起きた、立川市立第三小学校の事件については久しぶりに驚いた。事件の内容をまとめると下記のとおりと考えている。
◆9:15 小学校2年生の女生徒を持つ母親が学校に来校。娘が同級生とトラブルになっていることを担任の男性教諭と話し合い
◆10時半頃 一度、母親が校舎外に出たのち男性2人(40代と20代)を連れて学校に戻る。
◆男性2人が2年1組の教室に侵入。持っていた酒瓶や教室の椅子を使い暴れ始める。駆けつけた副校長や他の教職員を含む5名が顔面打撲などの怪我。男2人は駆けつけた警察官により、暴行の現行犯で逮捕
生徒たちに一切、怪我がなかったため、先生方々は必死に生徒を守ったということが予想される。弊社の取引先様には教育業界も複数あるため、今回は、モンスターペアレントについて私なりに考えたことをまとめたい。

ご父兄側の経験上の問題
私の経験からいえば、それは決していい経験ではないが、私が小学生~高校生の間にかなりの数のモンスターティーチャーに会ってきたように思う。その例を挙げてみると
他の生徒がいる前で
【羽鳥君、30点しか取れてないのよ!こんな点数ならあなたの成績はどうせCだから】
【太っている人は基本的に自己管理が出来ていない人なの。】
(以上、小学生6年生の時)
◆平気で体罰。生徒は右腕を骨折。教員は免職にならず。
◆すごく喧嘩が強い先輩がいて、その先輩には他の先生はきちんとした指導せず。そのくせ私のような気が弱く体も小さい生徒にはデカい態度でよくわからないことでネチネチと叱責する。
◆あなたは点を取ることしか考えてないんじゃない。この点取り虫!
(以上、中学生の時)
今、親世代になっているご父兄様は、学校が組織として機能していなかった時代を知っている。それでいてあの頃は先生は神様だ、先生の言うことは100%正しいのだ。などと言われていた時代である。しかし、あの頃の現実は、決してそうではなかっただろう。だから、自分の子供にはモンスターティーチャーには指導させたくない、きちんとした監視の目を持っておこう、という意識がどこかしらに働いているのではないだろうか?そしてもしもその監視の目が、あまりに過激なものだったとしたら・・・・?

お金に対する価値観が大きく変化した時代の流れ
公立の学校は国とその地域の税金でまかなっている。つまり、その地域の人々が支払っているお金で運営がなされている。昔は、【まあ税金で運営されているのだから、そんなに文句は言えないか。】という認識があったように思うが、今はお金の価値観が大きく高くなり、【税でまかなっている組織だとしても私が払っているお金で運営がなされている。だから不満点はキチンと指摘するべきだ】という認識が少なからず私たち側に存在しているのではないだろうか?全うなクレームならば絶対に指摘するべきだが、どうでもいいようなクレーム、一般社会の良識を逸脱するような注文を学校に求めてはならない。【運動会はうるさいからやるのをやめろ!】【うちの子供は塾で忙しいから午前中は授業中でも居眠りを許可しろ】

ニュースやインターネットの発達
昨今、インターネットで【教員 不祥事】と入れればありとあらゆる教員の事件が出てくる。また、ニュースではほとんど毎週のように教員の不祥事が報道される。例を出すと 【体罰】【わいせつ行為】【違法なドラッグ所持】【飲酒運転】【横領】【窃盗】などである。昔から、教員の不祥事はあったと思うが、昔は報道されなかったことでも今は報道されるようになった、という側面もあると思う。特に教員の犯罪ということになれば、マスコミは過激なまでに報道し、我々側もセンシティブに受け止める傾向にあるような気がする_そして、そういった報道が毎週のように配信されるとあたかも【学校の先生には悪い人がたくさんいるようだ】と認識してしまう。

教員レベルの低下
教員は忙しいし、給料もそれに見合ったものではないし、生徒やご父兄様が求めているサービスの質が高すぎて全く割に合わない、というニュースや報道をよく耳にする。こういった報道を簡単に入手できる昨今では、【だったら教員なんてなるんじゃなくて、一般企業に就職したほうがいいや】と考える若者が多くなる。そして教員志望者の倍率はどんどんと低下し、教員レベルに達していない者が教員になってしまう、そしてその教員に指導された生徒は教員になりたいという夢を抱くことなく大人になり、という負のスパイラルに陥るのである。
最後に、モンスターペアレントを生まないために
①いい教員を確保するためにも、自治体は学力レベルと指導力の高い教員のみを採用すること。これはおのずとモンスターティーチャーを排除するための機能ともいえる。そのためには教員の給与の大幅な上昇が必要。もしくは担任と学科指導者は切り分けて、算数は算数専門の教員を配置、国語は国語専門の教員を配置、など教育システムの変更をする。その際、社会経験の豊富な方の社会人選抜などを行う、ということを提言する。 ②学校はコンプライアンスにも基づき、学校が指導する範囲外の仕事はしないこと。生徒がタバコを吸ってます、万引きしました、などは学校に報告するのではなく、警察と各家庭で対処するべきであると周知徹底する。学校の仕事の範囲に線を引くこと。 ③教員は高いモラルを持ち、常に法律の範囲内のこととして指導にあたること。体罰は傷害罪か暴行罪であることを自覚すること。昔、先生がやっていたことだから、自分も他人に対して指導という名目でやったとしても事件にはならないや、などと考えさせない努力が必要。
以上が私が考えたことである。
